【演劇】
昭和41年7月15日(金)〜7月17日(日)公演
B・Bの歌(ブレヒト・オン・ブレヒト)
●六月劇場
シャドー・シアターにて上演
構 成
演 出
津野海太郎
【出演】
岸田森
村松克巳
橋本陸
稲葉良子
悠木千帆
【解説】
『名づけるな、わたしたちに』
(昭和41年
1966
)を参照
関連作品
六月劇場
名づけるな、わたしたちに
(昭和41年
1966
)
魂へキックオフ
(昭和42年
1967
)
審判 銀行員Kの罪
(昭和42年
1967
)
かれら自身の黄金の都市
(昭和43年
1968
)
夜うつ太鼓 死んだ兵隊の伝説 二幕五場 喜劇
(昭和43年
1968
)
魔女傳説
(昭和44年
1969
)
海賊(二幕)
(昭和44年
1969
)
魔女傳説(再演)
(昭和44年
1969
)
海賊(二幕)
(昭和44年
1969
)
鼠小僧次郎吉
(昭和44年
1969
)
「「六月劇場」です=岸田森〈俳優〉」
(昭和41年
1966
)
「おとしさんがんばる!劇団を結成した岸田森・悠木千帆夫妻」
(昭和41年
1966
)
おじゃまします ただ今6月劇場≠ノ熱中 岸田森(きしだしん)
(昭和42年
1967
)
昭和41年9月21日(水)〜9月24日(土)公演
名づけるな、わたしたちに
●六月劇場
シャドー・シアターにて上演
演 出
津野海太郎
脚 色
長田弘(マレク・フラスコによる)
【出演】
岸田森
悠木千帆
村松克巳
橋本陸
稲葉良子
【解説】
『ブレヒト・オン・ブレヒト』
と、この2本の舞台は、
岸田森達が中心になって作り上げた六月劇場が、
本格的に舞台で上演する前に行った、実験的な芝居。
芝居というよりは、朗読に近かったという。
シャドー・シアターとは、岸田森の自宅を改造して作り上げた劇場で、
東京港区の白金台にある寺の境内の奥に出入り口があった。
玄関のベルを鳴らして入るという、一風変った劇場で、
観客席も六畳の居間を改造したもの。
そのために、観客数は15人、世界で一番小さな劇場ではないかとマスコミには語っていた。
舞台は、その奥にある四畳半を使っていたが、とても激しい動きは出来ない広さだ。
公演の総予算は、2回とも一万五千円。
『ブレヒト・オン・ブレヒト』
はトントン、
『名づけるな、わたしたちに』は180円の黒字だったという。
入場料は、年齢×10円という、一風変った設定だった。
この時期は小劇場がブームで、
早稲田小劇場、アンダー・グラウンド・シアター自由劇場、
代々木小劇場、青山アートシアターなど、次々と作られ、
各劇団の拠点として使われている。
後に発売された
「おかしな時代『ワンダーランド』と黒テントへの日々」
(津野海太郎著)によると、
『ブレヒト・オン・ブレヒト』は、
ブレヒトが第二次世界大戦後、共産党員として下院非米活動委員会での証言記録に、
ブレヒト自信の詩やソング、戯曲の断片、
演出ノートや日記などからの引用を組み合わせたものだそうである。
また、『名づけるな、わたしたちに』は、
詩人長田弘の初めての戯曲。
ポーランドの作家マレク・フラスコの
「雲の中への第一歩」を元に描かれた短い対話劇との事だ。
関連作品
六月劇場
B・Bの歌(ブレヒト・オン・ブレヒト)
(昭和41年
1966
)
魂へキックオフ
(昭和42年
1967
)
審判 銀行員Kの罪
(昭和42年
1967
)
かれら自身の黄金の都市
(昭和43年
1968
)
夜うつ太鼓 死んだ兵隊の伝説 二幕五場 喜劇
(昭和43年
1968
)
魔女傳説
(昭和44年
1969
)
海賊(二幕)
(昭和44年
1969
)
魔女傳説(再演)
(昭和44年
1969
)
海賊(二幕)
(昭和44年
1969
)
鼠小僧次郎吉
(昭和44年
1969
)
「「六月劇場」です=岸田森〈俳優〉」
(昭和41年
1966
)
「おとしさんがんばる!劇団を結成した岸田森・悠木千帆夫妻」
(昭和41年
1966
)
おじゃまします ただ今6月劇場≠ノ熱中 岸田森(きしだしん)
(昭和42年
1967
)