【記事・インタビュー】


新聞記事

和製ドラキュラ
今度は「血を吸う薔薇」
植物性′ゥ込まれたかな 岸田森





読売新聞(夕刊)昭和491974 年5月21日(火)掲載 
7面単色刷り


【解説】

読売新聞夕刊に掲載された、岸田森の吸血鬼を取り上げた記事。
「和製ドラキュラ」とタイトルについている通り、
二作目の吸血鬼役に挑戦する岸田森に、その心構えなどを聞いて記事にまとめている。
最初、吸血鬼役の依頼が来たときには、引き受けるかどうか、ずいぶん迷ったという風に書かれている。
「でも、吸血鬼というウソの存在を、徹底して現実的に描くこと」
つまり、映画らしい映画という点に興味を持った事が書かれている。
また、ハワイで上映された前作
『呪いの館 血を吸う眼』(昭和461971 年)が大ヒットして、
ワイキキの大通りに面した映画館に、岸田森の吸血鬼の大きな看板が飾られていたというエピソードも紹介されている。
山本監督のコメントなどもあり、かなり内容が詰まった記事だ。



関連作品


ドラキュラ

呪いの館 血を吸う眼  (昭和46年1971
血を吸う薔薇  (昭和49年1974
日曜☆特バン 第4回「戦慄!!ドラキュラは今でも生きている!!」 (昭和51年1976
金田一耕助の冒険  (昭和54年1979
SPECIAL INTERVIEW 「フルコース ミスターどらきゅら 岸田森VSドラキュラ ドラキュラのルーツをたずねて」  (昭和54年1979
もんもんドラエティ 全30回(昭和56年1981
インタビュー「日本一の吸血鬼役者、岸田森!」  (昭和56年1981
木曜洋画劇場「ドラキュラ都へ行く」  (昭和56年1981
インタビュー「日本一の吸血鬼役者、岸田森!」 (昭和56年1981


山本迪夫

東京コンバット 第3話「銀色の死刑台」 (昭和43年1968
呪いの館 血を吸う眼          (昭和46年1971
火曜日の女「木の葉の家」全6回     (昭和47年1972
血を吸う薔薇              (昭和49年1974
木曜ゴールデンドラマ「大誘拐 陽気なお婆ちゃんの身代金は何と百億円!」(昭和56年1981
「追悼岸田森 山本迪夫」        (昭和58年訃報1983








新聞記事

「こんな時 こんな服 チョウを追う 岸田森さん(俳優)」




「朝日新聞」昭和49 1974年6月2日(日) 
23面単色刷り


【解説】

毎週日曜日に、朝日新聞で掲載されていた家庭向け記事の中の一つ。
内容は蝶の話ではあるが、実はファッションのコーナーである。
岸田森が、年に数回蝶を採集に行く時のスタイルを紹介。
この中で、岸田森の事を「日頃から意表をついたおしゃれに凝ることで知られている」と紹介している。
蝶さえいれば、どんな地の果てのロケも厭わず、加えてそこですぐに殺されてしまう役のほうが、蝶の採集時間が出来てありがたいという。
確かに晩年の映画は、そんな役が多かったような気がする。
掲載されている写真で、照れたように写っている岸田森が珍しい。


関連作品

エッセイ 有名人の旅プラス・アルファ「片眼で蝶を追う」 (昭和44年1969
エッセイ 「日月潭(りゅうえんたん)の夕焼け」  (昭和44年1969
雑誌記事「凝ってます 岸田森=蝶」  (昭和48年1973
新聞記事 「ズームアップ 岸(きし)田森(だしん) チョウ収集家」 (昭和49年1974
新聞記事「超≠ェつくチョウ狂い 飛行機で東南アジアへ 岸田森」 (昭和49年1974
エッセイ NEW LIFE「蝶」岸田森(俳優)(昭和52年1977
「忘れられない 八重山諸島 岸田森(俳優)」(昭和56年1981
雑誌記事 「ワイド特集 ホントの自分はどっち? 趣味の世界に魅せられて生きるもうひとりの私
岸田森・蝶コレクション 「役者はアルバイトでやってるんです」
(昭和57年1982

野生ふれあいの旅(昭和56年1981
野生ふれあいの旅 (昭和57年1982








雑誌記事

「こ〜れがボクの素顔デス
昼メロ 憎まれ役のある日」





「週刊TVガイド」昭和49 1974年6月14日号 
巻頭グラビア(1ページ)単色刷り


【解説】

この当時放映されていた昼の連続帯ドラマの、憎まれ役達の普段の姿をレポートした単発企画記事。
数人の役者が紹介されているが、トップバッターは、当時
『みだれ扇』(昭和49 1974年放映)で田場征一郎を演じている岸田森が選ばれた。
家で、一日に一本半のウィスキーを飲みながら、シャム猫をからかっているのが最高の楽しみと書かれている。
高いものでは、百万円のウィスキーがあり、これは俳優の神山繁が、岸田森にプレゼントしたものだという。
写真を良く見ると、棚一杯に並んだウィスキーの後に、蝶の標本が見えるのが岸田森らしい。







雑誌記事

「スクープ!悠木千帆と別れて4年半…
岸田森きしだしんが再婚!相手は35才・銀座ママ・離婚歴あり!
−その人の名は飛田ちづ子さん。
2年間の同棲生活をへて、8月3日過去あるふたりは挙式する」





「女性セブン」昭和49 1974年6月19日号 
P34〜P36(3ページ)単色刷り


【解説】

女性向け週刊誌「女性セブン」で、岸田森が飛田ちづ子さんと再婚するときに書かれた記事。
インタビューは、二人の新居として移り住んだマンションで行われ、二人の出会いから、結婚までのいきさつが語られている。
初対面の時にお互いに猫の話で盛り上がり、それがきっかけで交際が始って、2年半の同棲生活の末に結婚が決まったという事だ。
岸田森は、プレゼント癖があるらしく、ハンドバック10個、靴15足という、非常に具体的な数を上げてのろけていた。
そんな姿を見て、記者は「愛し合うということはいいものである。」とコメントしている。
悠木千帆と結婚していた事が紹介され、以前の結婚生活の事が、簡単にふれられている。
岸田森は、悠木千帆との結婚を「同業者同士の共同生活といった感じがあったけど…」と総括していた。







雑誌記事

「おめでたレポート 悠木千帆と離婚、
「もう結婚はコリゴリ」といった
岸田しんが再婚!
その女性ひと 飛田ちづ子さん、35歳
は年上の銀座クラブのママ 」





「週刊平凡」昭和49 1974年6月20日号 
P150〜P152(3ページ)単色刷り


【解説】

女性向け週刊誌「週刊平凡」に掲載された岸田森再婚の記事。
猫の話でお互い盛り上がり、2年近くの同棲の末に、彼女の方からプロポーズしたといういきさつは、他の雑誌と殆ど同じ。
違うのは、二人の前の結婚の事が結構詳しく書かれている事と、二人の初デートの事が詳しく描写されていることだ。
初デートは、具体的な喫茶店名と待ち合わせた時間まで書かれ、
その時に話した内容(「ライオンのたてがみの話を三時間も語ったらしい)までもが詳しく描写されている。








雑誌記事

「悠木千帆の元旦那
岸田森が再婚を決意
一つ上の姉さん女房#田ちづ子さんと運命結婚≠ヨ」





「週刊TVガイド」昭和49 1974年6月21日号 
P42〜P43(2ページ)単色刷り


【解説】

テレビ専門誌「週刊TVガイド」に掲載された、岸田森再婚の記事。
「女性セブン」「週刊平凡」に書かれた事と基本的には同じだが、
他の雑誌では「ある友人」「後輩」と書かれていた、岸田森を始めて銀座のスナックに連れて行った人物が、
ここでは俳優の小野川公三郎だと明かされている。
昭和49 1974年いっぱい
『傷だらけの天使』の仕事のため、ハネムーンはお預けで、
来年の三月以降にタヒチあたりに蝶の珍種を採りに行きたいと語っていた。
インタビューは六月劇場の事務所で行われている。








新聞記事

「テレビトピック
またまた悪役…岸田森
あすの「おしどり右京捕物車」
死にざま≠ノ苦労します」





「静岡新聞」昭和49 1974年7月17日(水)夕刊 
8面単色刷り


【解説】

静岡新聞テレビ欄に毎日掲載されている、話題の役者を紹介するコーナー。
今回は
『おしどり右京捕物車』 第16話「 闇」(昭和49 1974年7月18日(木)放映)に、
主人公を陥れる悪役、伊賀役で登場する岸田森が採り上げられた。
仕事は「その顔立ちのせいか、仕事は悪役がやたら」多く、死亡率は90パーセント、
平均月4回は正義の味方に殺されていると、ちょっとオーバー気味に書かれている。
悪役を演じることについては、別に苦ではなく
「自分に素直に生きれば悪≠ノならざるを得ない。善人≠ニいうのは、無理に自分を押さえ込んでいるだけなんだから」と語っている。
岸田森の人生観が垣間見られて興味深い。
記事は短いが、意外に内容が詰まっている。








グラビア記事

「炎天下に誓ったぼくたちの愛
岸田森(34)、飛田ちづ子さん(35)が再婚」


「女性セブン」昭和49 1974年8月21日号 
巻頭グラビア(2ページ)単色刷り


【解説】

昭和49 1974年8月8日(金)に、東京・上智大学にある聖堂で行われた結婚式を、巻頭見開きグラビアで大きく扱った記事。
白いスーツなど、着たこともなかった岸田森は、
「式の間中、思ったより緊張していたから、いまはなにがなんだかわからない」と、炎天下汗をぬぐっている。








雑誌記事

「岸田森(34歳)が飛田ちづ子さん(クラブママ・35)と8月3日結婚!
約二年の同棲生活の後に挙式した二人は再婚同士。」





「週刊女性」昭和49 1974年8月27日号 
P164〜P165(2ページ)単色刷り


【解説】

岸田森が、再婚の挙式をしたことを扱った女性向け週刊誌「週刊女性」の記事。
「巻末ワイド特集 芸能界には今週も熱いラブ・ドラマが続々!」と銘打たれて、数組のカップルと共に紹介されている。
挙式に教会を選んだ理由を、岸田森は、二人ともクリスチャンではないが、
年がいもなくロマンチックな結婚式を挙げたくてと、テレながら語っている。
式は、ほとんどお金を使わずに行われた、今で言うジミ婚だったらしく、
彼女の着た純白のウェディング・ドレスが、仕事のギャラ代わりにもらったものだと書かれている。








新聞記事

「ズームアップ
岸田森きしだしん
チョウ収集家」





「北海道新聞」昭和49 1974年11月2日(土)夕刊 
12面単色刷り


【解説】

北海道新聞夕刊テレビ欄に、毎日掲載されていた、
話題の役者を紹介するコーナー「ズームアップ」で、岸田森が取り上げられたもの。
『傷だらけの天使』(昭和49 1974年)に出演しているという事での登場。
岸田森の経歴が簡単に紹介されているけれども、結構間違いが多い。
例えば誕生日が昭和14年ではなく昭和13年となっていたり、
初舞台が昭和40 1965年の『怒りをこめてふり返れ』になっていたりする。
最後に蝶の収集の事が書かれ、飲めば陽気なウィスキー党だと紹介されて記事が絞めくくられた。


関連作品

エッセイ 有名人の旅プラス・アルファ「片眼で蝶を追う」 (昭和44年1969
エッセイ 「日月潭(りゅうえんたん)の夕焼け」  (昭和44年1969
雑誌記事「凝ってます 岸田森=蝶」  (昭和48年1973
新聞記事「こんな時 こんな服 チョウを追う 岸田森さん(俳優)」 (昭和49年1974
新聞記事「超≠ェつくチョウ狂い 飛行機で東南アジアへ 岸田森」 (昭和49年1974
エッセイ NEW LIFE「蝶」岸田森(俳優)(昭和52年1977
「忘れられない 八重山諸島 岸田森(俳優)」(昭和56年1981
雑誌記事 「ワイド特集 ホントの自分はどっち? 趣味の世界に魅せられて生きるもうひとりの私
岸田森・蝶コレクション 「役者はアルバイトでやってるんです」
(昭和57年1982

野生ふれあいの旅(昭和56年1981
野生ふれあいの旅 (昭和57年1982








新聞記事

「艶技中にツルリ!
岸田森、湯気の出るベットシーン
川村真樹を相手に NTV「傷だらけの天使」」





「サンケイスポーツ」昭和49 1974年11月26日(火) 
13面単色刷り


【解説】

スポーツ新聞「サンケイスポーツ」に掲載された芸能記事。
『傷だらけの天使』では、第5話
「殺人者に怒りの雷光を」で、
劇中いきなり岸田森がカツラをとってしまったシーンが有名だが、
第11話「シンデレラの死に母の歌を」にも、実際には本編で使用されていないカツラのシーンがある。
これは、そのシーンについての記事。

すでにこの時、映画『あさき夢みし』(昭和49 1974年)のために髪を剃っていた岸田森だったが、
記事では

「はじめ美術係のはからいで坊主用のカツラを用意したが、
「これじゃ、ふん囲気がでない」と岸田森はこのほど自慢の長髪をバッサリ。」

と、役者ぶりを強調した話になっている。

『八月はエロスの匂い』などで知られロマンポルノの常連女優、川村真樹を相手に演じたシーンだけあって、

「「ツルツルした頭の感触ってたまらないわ」とお色気いっぱいにせまられると、顔を上気させてベッドシーンに猛ハッスル。」

と、さすがスポーツ新聞だけあって、かなりお色気に偏った内容で書かれている。


関連作品

あさき夢みし(昭和49年1974
傷だらけの天使 第5話「殺人者に怒りの雷光を」(昭和49年1974
傷だらけの天使 第11話「シンデレラの死に母の歌を」
雑誌記事 「 ひろめやひろめ 男優は頭を剃るのが当然〜岸田森が頭髪をバッサリ〜」(昭和49年1974








新聞記事

「超≠ェつくチョウ狂い 飛行機で東南アジアへ 岸田森」





スポーツニッポン掲載昭和49 1974年12月2日発行
15面単色刷り


【解説】

スポーツニッポンに掲載された、岸田森の蝶コレクションに関する記事。
文字数はそんなに多くはない記事だが、コメントが多いのが特徴。

「何しろたった数百円のものでさえ、あるとなると十数万も飛行機代を使って買いに行ってしまうんですから…。
この間も東南アジアへ行って数匹(ママ)仕入れてきましたがね」

というコメントが、いかにも岸田森らしい。
この時期作っていた、横2メートル、縦1.5メートルの巨大な蝶の標本についても語っており
家に置いてきたその標本が、
京都で撮影しているうちに、湿気にやられないか、そればかりが心配だとか、と記事は締めくくられている。
ちなみに、この標本は、
ザ★ゴリラ7(セブン) THE GORILLA SEVEN 第18話「明日なき殺人ジャガー」(昭和50年1975)の劇中に使われいる。


関連作品

エッセイ 有名人の旅プラス・アルファ「片眼で蝶を追う」 (昭和44年1969
エッセイ 「日月潭(りゅうえんたん)の夕焼け」  (昭和44年1969
雑誌記事「凝ってます 岸田森=蝶」  (昭和48年1973
新聞記事 「ズームアップ 岸(きし)田森(だしん) チョウ収集家」 (昭和49年1974
新聞記事「こんな時 こんな服 チョウを追う 岸田森さん(俳優)」 (昭和49年1974
エッセイ NEW LIFE「蝶」岸田森(俳優)(昭和52年1977
「忘れられない 八重山諸島 岸田森(俳優)」(昭和56年1981
雑誌記事 「ワイド特集 ホントの自分はどっち? 趣味の世界に魅せられて生きるもうひとりの私
岸田森・蝶コレクション 「役者はアルバイトでやってるんです」
(昭和57年1982

野生ふれあいの旅(昭和56年1981
野生ふれあいの旅 (昭和57年1982








雑誌記事

「 ひろめやひろめ
男優は頭を剃るのが当然
〜岸田森が頭髪をバッサリ〜」





「週刊文春」昭和49 1974年12月9日号 
P63(1ページ)単色刷り


【解説】

週刊文春の日本テレビ系PRページ「ひろめやひろめ」で紹介された
『傷だらけの天使』の記事に、岸田森が登場。
番組中で、いきなり頭髪を剃って視聴者を驚かせた岸田森の事が取り上げられた。
しかし、取り上げられているのは、
現在映像が残っている第5話「殺人者に怒りの雷光を」(昭和49 1974年11月9日(土)放映)のものではなく、
第11話「シンデレラの死に母の歌を」(昭和49 1974年12月14日(土)放映)での事である。
第11話の途中、萩原健一に成り済まして女の寝室に行った、岸田森演じる辰巳が、コメディータッチの怪演をみせるシーンで、
実際の映像では使用されていないという、実に貴重な記事である。
岸田森は、坊主になった事で芸域が広がったが、同時にむだ遣いをしなくなったという。
これは、別に坊主頭が恥ずかしいという訳ではなく、
バーの女の子一人一人に坊主になった理由を聞かれて、答えるのが面倒になったからだそうだ。


関連作品

あさき夢みし(昭和49年1974
傷だらけの天使 第5話「殺人者に怒りの雷光を」(昭和49年1974
傷だらけの天使 第11話「シンデレラの死に母の歌を」
新聞記事 「艶技中にツルリ!岸田森、湯気の出るベットシーン 川村真樹を相手に NTV「傷だらけの天使」」(昭和49年1974





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