【記事・インタビュー】





インタビュー

「ニッポン個性派時代-31岸田森
綱渡りしてるみたいで、危なっかしくて目を離せない、というような役者でいたいんです。」





「キネマ旬報」掲載昭和54年1月上旬号
(2ページ)単色


【解説】

キネマ旬報で、個性的な俳優のインタビューを毎回載せていたコーナー。
5人のインタビューアーが、交代で文章を書いている。この回は藤田真男が担当。
デビュー作の頃から、父親の事、映画
『水で書かれた物語』(昭和401965 年)のロケの事、
役者としての心得などが語られている。
この中で『水で書かれた物語』の事を映画デビュー作と語っているが、
これは始めて役付きになった映画という意味だろう。
「綱渡りしてるみたいで、危なっかしくて目を離せない、というような役者でいたいんです」と自分自身の事を語っているが
、この言葉は、岸田森の存在を端的に語る名文句。
自らの事を客観的に語れる的確な目を持っていたと言えるだろう。
インタビューアーは『ファイヤーマン』(昭和481973 年)の脚本の話にも触れ、
岸田森を「大ロマンチストに違いない」と締めくくっている。
岸田森という役者に対して、ストレートにインタビューを行っているのは、このインタビュー位ではないだろうか。









グラビア記事

Color Scope
「これぞ必殺の"熱炎" 焼身自殺に挑戦した岸田森」





「週刊明星」掲載昭和54年2月25日号
巻末(1ページ)カラーグラビア


【解説】

映画
『白昼の死角』(昭和541979 年)の冒頭で、岸田森が炎に包まれるシーンの撮影レポート。
「観客にトリックだと思われないために、自分でできる限界までやってみたい」と、
焼身自殺のシーンはスタントマンなしで、服に火をつけている。
炎上シーンは約5、6秒くらいだったというが、「怖くて震えました」と語っていた。
写真はカラーで三枚紹介されているが、さすがに岸田森の顔は引きつっている。


関連作品

白昼の死角(昭和54年1979








インタビュー

「リメンバー!!怪奇大作戦 岸田森・昼下がりのインタビュー!!」

「月刊OUT」掲載昭和54年4月1日号
P33〜P35(3ページ)単色刷り(P33のみマゼンタ色)


【解説】

アニメ専門誌「月刊OUT」で、
円谷プロの諸作品を43ページも割いて特集した物の中のワンコーナーとして行われたインタビュー。
円谷プロダクションと岸田森との関りを中心に語っている。
『怪奇大作戦』(昭和431968 年)の話が中心となるが、
他にも脚本を書いた『帰ってきたウルトラマン』第35話「残酷!光怪獣プリズ魔」(昭和461971 年)と
『ファイヤーマン』第12話「地球はロボットの墓場」(昭和481973 年)の話が詳しく語られる。
円谷プロとの関りの事を、岸田森は
「(チョウを集めていたことが)このような円谷の世界と関係するようになった一つの原因かもしれませんね」と自己分析する。
円谷プロダクションの目指すものが色彩の世界で「絵的でファンタジックな世界」を目指しているのが感じられるという。
それが蝶の世界との共通点と考えられるのではないかという事だ。
特撮映画には『モスラ』(昭和361961 年)を超えるものがいまだに無い事を嘆く、蝶好きの岸田森らしい意見が見られた。
岸田森インタビュー以外には、円谷皐社長(当時)、高野宏一特撮監督、森次晃嗣へのインタビュー、
『ウルトラQ』 第13話「ガラダマ」の脚本掲載、円谷プロダクションの歴史、
恐竜戦隊コセイドンのロケ密着などが掲載され、じつに多彩な特集である。


関連作品

円谷プロ作品

怪奇大作戦 全26話 (昭和43年1968
帰ってきたウルトラマン 1話〜37話(昭和46年1971
帰ってきたウルトラマン(映画) (昭和46年1971
帰ってきたウルトラマン 竜巻怪獣の恐怖 (昭和46年1971
帰ってきたウルトラマン 第35話「残酷!光怪獣プリズ魔」(脚本) (昭和46年1971
帰ってきたウルトラマン 次郎くん怪獣にのる (昭和47年1972
ウルトラマンA 全52話 (昭和47年1972
ファイヤーマン 全30話 (昭和48年1973
ファイヤーマン 第12話「地球はロボットの墓場」(脚本) (昭和48年1973
「怪獣供養祭」司会 (昭和48年1973
恐竜戦隊コセイドン 第29話「コセイドン緊急出動 果しなき戦い」(昭和54年1979
土曜ワイド劇場「白い手美しい手 呪いの手」(昭和54年1979
土曜ワイド劇場 「怨霊!あざ笑う人形 危険な未亡人」(昭和55年1980
土曜ワイド劇場「怪奇!金色の眼の少女」 (昭和55年1980
火曜サスペンス劇場「乱れからくり ねじ屋敷連続殺人事件」 (昭和57年1982
火曜サスペンス劇場 「可愛い悪魔」(昭和57年1982
ウルトラマンA「大蟻超獣対ウルトラ兄弟」(平成元年1989

空想特撮の名バイプレイヤー 岸田森インタビュー(昭和54年1979









雑誌記事

「「同棲レポート2
大河ドラマ『草燃える』の大江広元役で人気
岸田森39歳が三田和代36歳とユニークなワリカン共同生活=v」





「週刊平凡」掲載昭和54年8月23日号
P182〜P184(3ページ)単色刷り


【解説】

週刊平凡に掲載された、岸田森と三田和代の同棲生活のスクープ記事。
二人の淡々とした同棲生活が描かれている。
女優三田和代は
『みだれ扇』(昭和491974 年)で共演した数年後、偶然再会してから同棲を始めたという。
岸田森が彼女に惹かれたのは、なんと「芝居が下手」だからで、
「そのために彼女が役作りで悩んだり考えたりして、必死に努力する姿」が素晴らしかったからだと語られている。
役者に言うにはちょっと酷な言葉のような気がするが、それゆえに非常に現実感がある言葉だ。
タイトルの通り、お互いのものはお互いが出費するというユニークなワリカン生活で、
これは過去2回の結婚を踏まえた上での岸田森の考え方だろうと記事は書いている。
内容はともかく、岸田森の人生観が伺える発言が多く、読んでいて興味深い。
岸田森本人が校正を入れて大幅に書き直した週刊誌記事があるという話を聞いた事があるが、多分この記事だと思われる。








インタビュー

「SHORT INTERVIEW 岸田森」





「バラエティ」掲載昭和54年9月号
P33(1ページ)単色刷り


【解説】

角川書店が発行していたバラエティ誌「バラエティ」で、
角川春樹事務所製作のハード・ボイルド映画
『蘇る金狼』(昭和541979 年)」の特集をしたときに寄せた、短いコラムのようなインタビュー。
村川透監督のロングインタビューページに掲載。
内容は、『蘇る金狼』で演じた興信所所長石井の事を中心に、
同じ角川春樹事務所製作の『金田一耕助の冒険』(昭和541979 年)の事にも触れている。
『蘇る金狼』での石井の奇妙な扮装は、全て岸田森自身が考え、
黒メガネは、横須賀で見つけた検眼用フレームに、丸く切ったガラスをはめこんだものだそうだ。
インタビューアーに、「(尾行するのに)そのカッコじゃかえって目立っちゃうじゃないですか」と言われているのが楽しい。
このコーナーには、ほかに、成田三樹夫、小池朝雄、千葉真一へのショート・インタビューがある。


関連作品

蘇える金狼(昭和54年1979








インタビュー

「空想特撮の名バイプレイヤー 岸田森インタビュー」


「ファンタスティックコレクションNo.16
華麗なる円谷特撮の世界・
ミラーマン・ファイヤーマン・ジャンボーグA」掲載
昭和54年9月1日(土)発行
P30〜P31(2ページ) 


【解説】

朝日ソノラマが発売していた、特撮番組を扱ったムック「ファンタスティックコレクション」シリーズで
『ミラーマン』
『ファイヤーマン』『ジャンボーグA』を扱った際に収録された岸田森のインタビュー。
岸田森の執筆した脚本『ファイヤーマン』第12話「地球はロボットの墓場」(昭和481973 年3月25日(日)放映)と共に掲載されている。
内容は、円谷プロダクション制作作品の事がメインで、
シナリオ執筆の事や、実相寺昭雄監督の事、ドラキュラや蝶コレクションの事が、手際よくまとめられている。
中でも『傷だらけの天使』(昭和491974 年放映)の辰巳役は、
東宝の「血を吸うシリーズ」のイメージでキャスティングされたのだが、
現場でやっているうちに、だんだん喜劇の方向になってきたというあたり、役作りの上での興味深い発言がある。
面白い発言が多いのだが、ページ数が少ないのが残念だ。
ちなみに、昭和621987 年に再版されたものには、このインタビューは掲載されていない。
多分、インタビュー内で扱われていた『土曜ワイド劇場「白い手美しい手 呪いの手」』(昭和541979 年)の事を、
最新作という事で紹介していたので、時事性を考えて再掲載は見送られたのではないだろうか。
残念な話である。
「不死蝶 岸田森」(ワイズ出版)には、このインタビューを、
担当した中島紳介自身が当時のインタビューテープから起こしてリライトしたものが掲載されている。
この時の内幕を書いた付記も書かれていて実に親切だ。
ちなみに、インタビューの行われたのは昭和541979 年5月23日(金)。

関連作品

円谷プロ作品

怪奇大作戦 全26話 (昭和43年1968
帰ってきたウルトラマン 1話〜37話(昭和46年1971
帰ってきたウルトラマン(映画) (昭和46年1971
帰ってきたウルトラマン 竜巻怪獣の恐怖 (昭和46年1971
帰ってきたウルトラマン 第35話「残酷!光怪獣プリズ魔」(脚本) (昭和46年1971
帰ってきたウルトラマン 次郎くん怪獣にのる (昭和47年1972
ウルトラマンA 全52話 (昭和47年1972
ファイヤーマン 全30話 (昭和48年1973
ファイヤーマン 第12話「地球はロボットの墓場」(脚本) (昭和48年1973
「怪獣供養祭」司会 (昭和48年1973
恐竜戦隊コセイドン 第29話「コセイドン緊急出動 果しなき戦い」(昭和54年1979
土曜ワイド劇場「白い手美しい手 呪いの手」(昭和54年1979
土曜ワイド劇場 「怨霊!あざ笑う人形 危険な未亡人」(昭和55年1980
土曜ワイド劇場「怪奇!金色の眼の少女」 (昭和55年1980
火曜サスペンス劇場「乱れからくり ねじ屋敷連続殺人事件」 (昭和57年1982
火曜サスペンス劇場 「可愛い悪魔」(昭和57年1982
ウルトラマンA「大蟻超獣対ウルトラ兄弟」(平成元年1989

「リメンバー!!怪奇大作戦 岸田森・昼下がりのインタビュー!!」(昭和54年1979









雑誌記事

「岸田森・三田和代同棲3年入籍しない事情とは!
テレビの画面から受けるイメージそっくりにひっそり同棲していた2人だが…」





「微笑」掲載昭和54年9月15日号
P45〜P46(2ページ)単色刷り


【解説】

女性向け雑誌「微笑」に掲載された記事。
「同棲・結婚・離婚 渦中の5組を真相直撃!」と銘打たれていて、岸田森は二組目に紹介されている。
内容は「週刊平凡」の
8月23日号で書かれた事と、コメントも含めて殆ど同じ内容をダイジェストで書いている。
多分、実際に取材には行っていないのだろう。
岸田森の他には「大空真弓・勝呂誉夫婦」「若尾文子・黒川紀章」等が同特集で取り上げられている。









雑誌記事

「ちょっと気になる陰の主役たち
― 蝶に囲まれて一人暮し/岸田森」





「週刊明星」掲載昭和54年10月14日号
P45〜P46(2ページ)単色刷り


【解説】

「週刊明星」のテレビや映画等のPRページ「POST」に連載されている、
個性的な脇役たちへのインタビュー「ちょっと気になる陰の主役たち」に、岸田森が登場。
インタビューと言っても発言はあまりなく、殆どが鈴木ヒロハル氏の文章である。
内容は岸田森の経歴を中心に書かれているが、細かい記述に間違いが結構多い。
それでもドラキュラ映画に対する考え方や
『ダイナマイトどんどん』(昭和531978 年)のピンクのスーツの話など、短いが興味深い話が語られている。









インタビュー

SPECIAL INTERVIEW
「フルコース ミスターどらきゅら
岸田森VSドラキュラ ドラキュラのルーツをたずねて」


「バラエティ」掲載昭和54年12月号
P33〜P35(3ページ)単色刷り





【解説】

角川書店発行のバラエティ雑誌「バラエティ」で行われた
特集「フルコース ミスターどらきゅら」のなかのワンコーナーに掲載された、岸田森のロングインタビュー。
タイトルからわかる通りに、
当時ブロードウェイで公開されて大ヒットを飛ばした「ドラキュラ」が巻き起こした
ドラキュラブームに乗って企画された特集ページ。
内容は、当時立て続けに公開されたドラキュラ映画でドラキュラを演じた
フランク・ランジェラ、
ジョージ・ハミルトン、クラウス・キンスキーへのショートインタビューと、
その映画の解説と共に、和製吸血鬼として有名な岸田森へのロングインタビューを目玉にして10ページでまとめている。

岸田森へのインタビューの内容は、昭和511976 年に「日曜☆特バン」の取材で行った、ルーマニアロケの事を中心に、
現地で見た本当のドラキュラ伝説と、自らのドラキュラ観を中心に語っている。
中でも実際にルーマニアの人達がドラキュラをどのように見ているかに大きく紙面が割かれており、非常に面白く読める。
また、インタビューの構成も親切にわかりやすく、解説も丁寧で良く出来ている。

インタビューの最後に、岸田森は250万円する蝶の標本を持ちだして
「これが俺のドラキュラだ」という冗談を飛ばす。
インタビューアーは、この発言を、
金がかかって身を持ち崩すという事ではなく、ネクロフィリー(屍体愛好)に繋がる意味ではないかと分析している。
吸血行為は、性的な意味がある事は知られているが、この考え方は独創的で面白い。

雑誌のあとがきによると、インタビュー場所は岸田森いきつけの寿司屋(三船寿司、今はない)
三田和代さんも一緒で、終わるまでに5時間もかかったと書かれている。


関連作品

ドラキュラ

呪いの館 血を吸う眼  (昭和46年1971
血を吸う薔薇  (昭和49年1974
新聞記事 和製ドラキュラ 今度は「血を吸う薔薇」植物性′ゥ込まれたかな 岸田森  (昭和49年1974
日曜☆特バン 第4回「戦慄!!ドラキュラは今でも生きている!!」 (昭和51年1976
金田一耕助の冒険  (昭和54年1979
もんもんドラエティ 全30回(昭和56年1981
インタビュー「日本一の吸血鬼役者、岸田森!」  (昭和56年1981
木曜洋画劇場「ドラキュラ都へ行く」  (昭和56年1981
インタビュー「日本一の吸血鬼役者、岸田森!」 (昭和56年1981

































inserted by FC2 system